2015年04月16日

老いという成長

こんにちは。スタジオ・ヨギーPRを担当しています、タケです。
いきなりですが、私には、今3歳の娘がいて、毎日楽しく過ごしているのですが、これが大変なワガママ盛りで、苦戦しています。

 

娘は、毎日が楽しそうでなんでも全力でトライし、毎回の食事でもモリモリと食べ、毎晩の睡眠ですら全力に(?)熟睡で、ちょっとつついたくらいじゃ起きません。
ジャンケンで負けただけで(本当、なにも決めない、ただのジャンケンで)、本気で悔しがります。
そして、寝る前に、プリキュアの絵本を読んであげると、本気で自分がプリンセスプリキュアのキュアフローラだと思いだして、毎晩「おやすみ、キュアトゥインクル(←キュアフローラの仲間。娘にとっては私がトゥインクルらしい)」と言ってきます。

 

まあ、なんとも楽しく頼もしい生き方をしているなぁ、と

 

毎日毎日入ってくる情報が、彼女の知恵となり、楽しみとなり、めきめきと、それこそ音を立てて、脳内シナプスが高速かつ大量につな がっているかのようです。

 

それとは逆に私は、もう情報を減らす方向へ行っています。

 

私が10代後半~20代、30代……いや子供ができる前までは、情報がほしくってしょうがなかった気がします。

 

知らないことを知る楽しみ、そのモノのの情報を知っているということで、そのモノすべてを分かったつもりになれる感は、私にとって はちょっとした“無敵”感を与えてくれました。

 

でも、ふと思ったんですね。これはただ情報をどんどん耳にするだけで、ちっとも知恵とはならずに、ただ知っているだけだと。

 

同時に、歳も歳になってくると、もう情報処理できなくなるなと(笑)。自然と、自分に興味のないこと、自分に関わりのないこと、極 端をいえば自分の生活にかかわらないことは、本当覚えないんです。

 

この感覚、“老い”ではあるのでしょうが、私は好きです。
情報ジャンキーだった私が、中毒から解放された感覚なのかもしれないです。なんだかヨガでいう“知足(サントーシャ)”にも近いのかなと感じていま す。

 

手放す解放感、“足るを知る”で分かる満足感。
“老い”ということを、ネガティブなことととらえがちですが、これもまた人間(いや万物?)に必要な成長だと思いました。

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