2015年05月25日

源流を知ることで今の自分を知り、未来の自分を思い描く旅

こんにちは。ピラティスインストラクターのヒロコです。
今月はピラティス・メソッドが花開いた街ニューヨークとピラティスについて書こうと思います。
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ピラティス・メソッドを作り出したジョセフ・ピラティス氏はドイツ人ですが、なぜピラティス・メソッドがニューヨークで花開いたのかご存知ですか?
 
彼は第一次世界大戦後、ドイツの警察官に護身術と体育を指導していましたが、当時のドイツの政治的方向性が気に入らずアメリカへ渡り、1926年ニューヨーク市マンハッタン8番街のダンススタジオや稽古場の入っているビルにジムを開きました。
 
そしてそのビルに出入りしていたダンサーたちから、ピラティス・メソッドが世界中に広まっていったのです。そして驚くべきことに、今も同じ場所にピラティススタジオとして存在しています。
 
どのようにピラティスが受け継がれて今に至るのか、という、指導者養成コースの教科書には載っていないところを知りたくて、昨年と一昨年ニューヨークを訪ねました。
 
そこで出会った先生方は「アンクル・ジョー(ジョーおじさん)はこんな風に言っていたのよ」と、彼についてまるで知り合いのおじさんかのように話をされるのです。その話はどれも教科書には載っていない人間味溢れるエピソードで、びっくりしたり、思わず笑ってしまったり…、生身の人間のピラティス氏を感じました。
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また、エルダー(ピラティス氏から直接指導を受けた直弟子)たちから受け継がれたエクササイズも「これはロマーナのやり方よ」とか「キャシーはこう教えていたの」と敬意を表しながら紹介してくださいました。
 
さらに、約90年も前にピラティス氏が使っていたエクイップメント(彼が発明したマシン)が今でも大切に使われていて、その隣にオリジナルをもとに改良されたエクイップメントが並んでいました。
 
古いものに敬意を表しながらも新しいものが共存する空間に身を置いたことで、私にとって「歴史上の人物」であったピラティス氏を、「アンクル・ジョーは今も人々の心の中に生きている」と感じることができました。そんな先人たちの思いを受け継いで、これから先もピラティスを多くの人たちに伝えていきたいと未来を思い描くことができたニューヨークでした。
 
今年の9月にそのピラティスの聖地を訪ねるピラティス・ニューヨーク・スタディツアーが開催されます。ピラティスの歴史に触れ、ピラティスを通して自分を知り未来を思い描く旅に飛び込んでみませんか?
 
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