2015年09月18日

宝塚の舞台からボディワークの指導者へ ヨウコ先生の場合①

スタジオ・ヨギーのしちです。
 
ヨギーの先生のなかには、フィットネスインストラクターの経験者や、さまざまな職歴・経歴をお持ちの方がいらっしゃいます。
 
なかでもヨウコ先生は、宝塚のトップスター(男役)で活躍していたという華々しい経歴の持ち主。
ヨウコ先生に、ビューティ・ペルヴィスの魅力と、心も輝く笑顔の秘密を聞いてみました。
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懐かしい人に会いたくて、ヨギーに
 
――ヨギーを知ったきっかけはなんですか?
スタジオ・ヨギーは、オープン当初から知っていました。
当時、スタジオの近くに住んでいましたので、ピラティスのクラスを受けに行っていました。
実は、宝塚時代の後輩がピラティスのインストラクターをしていたので、そのご縁もあって。プログラムを目指してというよりは、彼女に会いにヨギーに行ったのが始まりなんです。
 
――それは、ピラティスのヤスヨ先生ですか?
そうなんです。私が宝塚(音楽学校)本科生のときに、ヤスヨさんは予科生で。つまり1年違いで組も一緒でした。
当時は私が先輩だったんですが、今は逆で、ヤスヨさんがインストラクターの先輩なので、ヤスヨ先生~と呼んでいます。「やめてください~」と言われますけれど。(笑) 
 
――宝塚歌劇団は刺激的な世界だったと思いますが、やっててよかった!ということはありますか?
たくさんあります。特に、阪神淡路大震災の時のことは心に深く刻まれています。
あの震災で歌劇団も被災し、大きなダメージを受けました。目の前で阪急電車が倒れ、舞台装置や衣装も破損、そして、命を失った方もいらっしゃいました。
 
そういう中で、私達のような娯楽の世界を再開するなんてほど遠いと思い、震災から1週間後に稽古を再開したときには、私たちのやる意味というものを、色々と考えました。
 
そして、半信半疑で舞台を創りあげ、まだ宝塚大劇場は復興していなかったのですが、私たちは名古屋劇場から再スタート。震災から1ヶ月後のことでした。
 
名古屋で初日の幕が開いた時のお客様の笑顔、拍手。ああやってよかった!と。思えた瞬間です。
まだまだ復興出来ず身動きのとれない方々が大勢いらした時期ですが、「この日を目標に1ヶ月がんばって来た!来れて良かった!」などというお客様の声、その笑顔を見た瞬間に、私たちにやる意味がある!と使命のようなもの感じました。
 
現地でボランティアもしましたけど、それとは別のかたちで役に立てるチャンスをもらえているのだと思い、しっかり足元をかためていこう、そう決心しましたね。
 
あのとき価値観がすごく変わりました。本腰入れてトップまでがんばろうと思えたのもその時です。それまでは、何度ももうやめちゃおうって、、、弱気でした、、、意外と。(笑)
 
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