2015年09月18日

宝塚の舞台からボディワークの指導者へ ヨウコ先生の場合②

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変わっていくことでより効果を発揮する、ビューティ・ペルヴィス
 
――ビューティ・ペルヴィスとの出会いは?
いまから5年ほど前に、ノリコ先生のビューティ・ペルヴィスを受けて、もう、目からうろこでした。今まで私は自分の体になんてことをしてきたんだろう!と思いました。
 
怪我も多く、アシュタンガヨガを5年ほど続けていたのですが、肩を痛めたのを機にやめていました。とにかくビューティ・ペルヴィスを学びたい、と思いました。ヤスヨ先生が色々サポートしてくださり、プロフェッショナルコースに進むことになりました。
 
――インストラクターのご経験はあったんですか?
インストラクターというより、後輩の指導を任されていて、主にパフォーマンスに関わることを指導してきました。マンツーマンで、歌唱指導であったり、ダンス指導であったり、演技指導であったり。
自分がパフォーマンスをする立場でしたから、大勢の方にインストラクションをする、というのは未知の世界でした。
 
――学び続けたいと思う、ビューティ・ペルヴィスの魅力とは?
社会的にも骨盤や骨盤底筋への認識が高まっていると思います。そういう意味でも提供する側として、学びを深めていかないといけないな、と思っています。
 
体に関するアプローチは医学の進歩と一緒で、どんどん変化していくと思います。kyo先生がいつも「時代にのっていくように」とおっしゃっています。変化することを当たり前だと思い、自分たちがついていくべきだ、と。「ビューティ・ペルヴィスは進化する」。それにはやはり学びが必要なのです。
 
学び続ける事で自分に責任感もわいてきます。自身の感性やテクニックを重視するダンス等を教えることとは方向性が異なります。
 
パフォーマンスは自由な世界に羽ばたけますがビューティ・ペルヴィスの場合は、整体学や医学に基づいてるところもあるので、勝手な解釈では進めません。
 
ただ、実はもうちょっとこういうアプローチだったよ、というような工夫は必要だと思っています。
 
十人十色、カラダも一人一人違いますから、間違いではなかったけれど、こういう見解も出てきた、ということで発展していく。
 
また、スマホ、携帯、ネット通信。便利なツールが生まれてメカニックなものが進化しているので、疲労する箇所も然り、人間のカラダ自体も変わっていくでしょうから、アプローチ方法もどんどん変わっていくのだと思います。
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――「稔 幸」さん時代の華やかな姿を知って、緊張していましたが、クラスを受けたら親しみがわきました。
意外と不思議って言われますよね。
もっと気取ったら、と言われもするし、変装して歩かないの?とか。「稔 幸」は、まだ自分の中に生きているけど、それはそれで…。
 
実は私、欲張りなんです。今は一つの「肩書き」から離れたところにも大切なことがあり、そして、もっと先の世界を広げて行きたいと思っています。
 
宝塚のファンの方が来てくださることもあるのですが、拍子抜けされているかも知れません。まだ時折ステージで彷彿させることもあり、そんな自分を楽しんでいますがね(笑)。どれも私…素の私で充分です。とにかく今は、やりたいこといっぱいあって、大忙しです!
 
ヨウコ先生、お話ありがとうございました。
 
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ヨウコ
ビューティ・ペルヴィスインストラクター。公認b-i stylist。
3歳よりクラシックバレエ、中学生よりジャズダンスを始め、宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団へ入団。男役トップスターとして活躍。モダン、タップ、スパニッシュ、日本舞踊等、様々な踊りを学ぶ。結婚を機に退団し、歌や演技などの芸能活動の傍ら、舞台人のパーソナルレッスンを担当する。結婚・出産で生活が劇変する中、アシュタンガヨガを5年、アトマナンダヨガ、ピラティスを学び、長年酷使してきた自分の体のケア、メンテナンスを探求し始め、スタジオ・ヨギーでビューティ・ペルヴィスと出合う。
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